俺の後ろのクラスメイトがこんなに可愛いわけがない
涼宮ハルヒは愛すべきキャラクターか?(これが副題)
どんだけ駄々滑ろうとタイトルにはできるだけキャッチーなものを採用したい第一弾です。
元ネタは7年ぐらい前?光陰矢の如しとはこのことですね。
目次
このブログの執筆方針
「涼宮ハルヒの憂鬱?ああ、見たことあるよ。確かシャッフル放送からエンドレスエイトまで両極端にやらかしてくれた変なアニメだよねえ」的な方から
「涼宮ハルヒは永遠に不滅です」的な方まで
面白おかしく触れてもらいたいと思っている所存です。
また、手垢に塗れたネタよりはニッチでスキマ産業的なネタをやっていきたいと思います。メジャーな話題にももちろん触れますよ。長門とか、消失の長門とか、以降の長門とか…。
「お前、その解釈はおかしいぜ」「こんなふうに考えられるだろ」的ツッコミ大歓迎です。TwitterのリプライDM、当ブログのコメント、どしどしお待ちしています。
ちなみに、当執筆者のメンタルは学校の理科で使用される顕微鏡のプレパラート並に脆いため、盆正月にだけ顔を出す孫を見るような祖父母の目線で暖かくご覧になっていただけたら幸いです。
さて、いい加減本題に入りましょう。
涼宮ハルヒは愛すべきキャラクターか?
誰がなんといおうとイエスです。ノーと言ったやつは、よろしい、ならば戦争だ。
冗談です。本気にしないでください。私は平和主義者です。
「あなたには無縁のことでしょう。涼宮さんにも。そのほうがいい。特に涼宮さんには永遠に知らないでいて欲しい。彼女の心を曇らせるようなことはしたくないんです。僕の基準で言えば、涼宮さんは愛すべきキャラクターをお持ちです。ああ、もちろんあなたも」
出典:涼宮ハルヒの溜息より
今回は、このセリフを紐解いてみましょう。
涼宮ハルヒは愛すべきキャラクターを持っている。
ゆえに、血みどろの抗争を見せたくないし、永遠に知らないでいて欲しい。
古泉がハルヒを愛すべきキャラクターを持っていると言ったのは何故でしょうか?
古泉がハルヒを好きだから愛すべきと言ったのか。
これはおそらくNOです。
このとき、古泉はキョンにしか言えない愚痴とハルヒのフォローをしたかった。
まず前提を整理しましょう。
古泉のこの台詞は、映画撮影で世界がしっちゃかめっちゃかになりかけていて、もし涼宮映画が完成されなければ世界の変容も止まらないという時期に、キョンに口を滑らせたものです。
では「愛すべきキャラクター」とは?
古泉が、ハルヒだけでなくキョンも愛すべきキャラクターを持っていると付け加えていることから、古泉がハルヒを異性として愛すべきキャラクターだという解釈はそぐわない。
1人の人間として愛すべきキャラクターを持っている、という意味で取った方が自然な解釈です。
ではハルヒの持つキャラクターとは?
唯我独尊か。猪突猛進か。傍若無人か。
だから血みどろの抗争を見せたくないのか。
これでは意味が分からないですね。陰謀渦巻く悪意を見せたくないという理由になっていない。
そうではなく、ハルヒの持つキャラクターとは、楽しむことに対する積極性、行動力、そして楽観的である意味前向きな性格のことを指すのでしょう。
学校未認可の団のサイトを無許可で学校のアドレスで開設してもバレなきゃ大丈夫。バレたらバレたで放っておけ。こんなもんはやったもん勝ちだ。
コンピ研の部長が学校に登校しないのは2ヶ月遅れの五月病患者だから。部屋で引き篭もってるところを引き摺りだせばいい。
孤島に建つ館という絶好の機会で、小説的漫画的アニメ的名探偵のように複雑怪奇な事件に遭遇してそれを解決してみたい。
火星に住む宇宙人はシャイで地球人に友好的な存在である。
侵入不可の溜池に侵入しても神主に射撃してもまぁどうせなんとかなるだろう。映画撮影のためなら、役者なんだから身体を張って演技してくれるだろう。
火気厳禁の校舎で鍋パーティーをしてもバレなきゃおっけ。バレて教師に見つかる事態となっても、激旨鍋を分けてあげればおっけ。
……誤解しないで欲しいのは、上記のハルヒの行動自体が愛すべきキャラクターと言いたいわけではなく、意識的か無意識的か、最悪を想定しない自分本位で純粋無垢な子供の発想と行動をする、というところです。悪いインターネットに毒されてる気はしますが。
この最悪を想定するという考え方、ハルヒにとっちゃ最もつまらない発想かもしれませんね。
常識的な理性を持つ彼女は、超えちゃいけないラインをよく分かっている。しかしそのギリギリや斜め上を攻めようとするのは、その方が面白いからという理由でわざと楽観的な発言をするのかもしれない。教師から怒られても全く気にも留めないし。
※この記事を読む良い子の皆や良い子でない皆は、傾くなら自分の尻を自分で拭けるようになってから傾きましょう。自分が起こした行動は全て自分の責任です。未成年は法的には制限行為能力者というだけです。
愛らしいじゃないですか。
自分の世界を盛り上げたいとするその積極性。
それを可能せんとする行動力。
どこまでも楽観的で前向きな性格。
そして何より、自分が選んだ仲間となら全てが上手くいくと信じている好奇心に満ちた屈託のない笑顔。
ハルヒの持つ愛すべきキャラクターとはこのことではないでしょうか。
だから古泉は、そんな純真無垢な子供には見せたくないと思っている。
悪意に満ちた世界を。
実は彼女を巡ってつまらない世界があることを。
それを知れば、彼女はきっと心を曇らせるから。
永遠に知らないでいて欲しいと。
それはこの古泉のセリフを読んでなるほどなと思ったからです。
闇のような世界があり、それを引き起こした張本人はお前なんだぜと見せつけるのはとてもいい趣味とは言えない。
ハルヒが神的パワーを持った経緯は謎ですが、無自覚無意識、本人の預かり知らないところで能力が発揮されているのだから、ハルヒを責めても仕方ない。
仮にキョンが神的パワーを持っていたら、いやハルヒ以外が持っていたら世界はどうなるか。
もっと酷いことになってもおかしくない。
閉鎖空間じゃなくて現実世界で建物をぶっ壊すかもしれない。デスノートなしで人間を亡き者にするかもしれない。3年間と保たずに世界がとうの昔に作り替えられていたかも。
我々が生活するこの理不尽な世界もそうですが、この世にベストなんてものは存在しない。どちらがよりマシか、ベターかしかない。
何故ならベストな解決方法なんてものは結果論でしか生まれない。
であるなら、そんな唐変木な力を持っているのがハルヒで良かったのだと考えた方がいい。
何故なら彼女は、そんな願望実現能力を持っていても、世界はある意味常態を保っているから。
たまに世界がハルヒのテンションに合わせて狂うだけで。
無邪気で我がままな子供のように振る舞うハルヒの横暴さを嫌う人もいるでしょう。
それはそれで正しいんですよ。
しかしこうも思う訳です。
最初から聖人君子のような人はいない。
諫めてやればハルヒだって言うことは聞くのだから、やりすぎれば注意すればいいだけの話です。だって子供なんだから。お前のやってることは面白いとは言わないぜと。
キョンにマジギレされたハルヒが反省して、以降やりすぎないラインに落ち着くようになった。着実にハルヒはいい方向へ成長している。
だから私は、ハルヒのキャラがまるごと好きなんですよ。可愛くて仕方がない。
キョンは古泉の忠告に従いすぎてハルヒを止めるのが遅すぎたな。
余談ですが、皆さんはハルヒとはどう接するのがベターだと思いますか。
古泉は、各派閥の生き残り合戦を永遠に知らないでいて欲しいのに、キョンには口が滑っている。古泉のハルヒに対する接し方は、ただ疲れるだけです。限界に到達するのも速いでしょう。
そんな古泉にキョンは、内心で思うわけです。
ハルヒはババ抜きのジョーカーではない。
本来苦労の押し付け合いをするもんじゃないと。
じゃあハルヒにどう接するのがベターな対処法だろう。
それは実に単純で誰でも可能な方法です。
キョンのようにハルヒと対等に接することです。
触れるのも恐れ多い神でもなく、監視対象でもなく、1人の人間として。
余談の余談。
そもそも私の1日のフリータイムが3時間ぐらいしかないわけなんですが、この記事書くのに2日かかってしまいました。えらい効率が悪いな。
記事の元ネタ
タイトルの元ネタ(何故1巻見つらんのや)